Action
Interview
私にしか聞けないテレビのハナシ。
『こどもディレクター』で、テレビの常識が変わる?
街の人にビデオカメラを渡し、自分の親を取材してもらうというテレビの常識を覆す企画はどのように生まれ、テレビの世界をどのように変えていくのか。「こどもディレクター」という番組を軸に紐解くスペシャルインタビュー。
開局55周年を迎えた中京テレビがグループ社内外に向けて発信する「つくれば?」というキーワード。中京テレビを新たな挑戦へ誘うこの言葉をまさに体現しているのが、全国放送(水曜23:59~)のドキュメントバラエティ番組『こどもディレクター ~私にしか撮れない家族のハナシ~』(中京テレビ制作・日本テレビ系列)を企画した北山流川さんだ。
この番組にレギュラー出演いただいている斎藤工さん、監修を務める元テレビ東京の上出遼平さんへ。今回は北山さん自ら、“私にしか聞けないテレビのハナシ”を聞いた。
何が起こるかわからない番組づくりをしよう
北山
今のテレビの制作現場について、斎藤さんと上出さんはどう感じていますか?
斎藤
テレビ局もそうですが、今、大きな組織や体制が変わるべきタイミングがきているように感じます。それはものづくりにおいてネガティブなことだけではなくて、同時に新しい何かが生まれるきっかけにもなっている。
待っているだけではなくて、とにかく自分の思うようにつくってみることで、何かの兆しが見えてくることもある。それを実践しているのが、上出さんであり北山さんですよね。
そんなお二人と『こどもディレクター』という番組をつくらせていただくのはとても光栄ですし、これからのテレビの世界への希望を示してくれる仲間だとも思っています。
北山
ありがとうございます。うれしすぎて、上手く言葉が出てきません……。
上出
このチーム、最高ですよね。やっぱり「何が起こるかわからない番組づくりをしよう」と最初にチーム全員が覚悟したことが、この番組にとって大きかったように感じます。
「カメラを渡す」というアイデア自体はこれまでもあったと思うんですよ。でも、リスクを考えるとなかなかできることではなくて。中京テレビのチームには、実現に必要な「覚悟」が備わっていたのだと思います。そして、斎藤さんがスタジオにいてくださることで、最後のピースがはまった。
僕も本当にこの番組を通じて、この先のテレビ業界に希望を感じています。
北山
上出さんが「覚悟」とおっしゃってくださったのですが、番組に関わるディレクター陣はこどもディレクターの皆さんと本当に真剣に向き合っているんです。
ただカメラを預けて撮ってきてください、とお願いするだけではないんですよね。些細なことが現場で起こっても相談してもらえる信頼関係を築いていて、「こどもディレクターと一緒につくろう」という姿勢でのぞんでいます。
上出
僕もディレクター陣からは人間的な魅力をひしひしと感じるんですよね。さっきの「覚悟」ともつながりますが、制作チームの人間性がそのままVTRに現れてくるのが、この番組の面白さであり難しさでもある。
同じ良心を持ったメンバーが集まっている
斎藤
いまだに私は突然カメラを向けられると銃口を突きつけられているような感覚になることがあります。この番組はそんな凶器にもなり得るカメラを、こどもディレクターの皆さんに渡すわけですよね。
これまで放送されているVTRはカメラをきっかけに家族の距離が近くなっていくことが多かったけれど、逆に距離が遠くなる可能性だってある。
でも、こうして番組が続いているということは制作チームがきちんと人間として寄り添っているということであり、この番組に良心があることの証なのかなと思うんです。
今は良心があるのか疑わしいメディアや作品も少なくありません。当たり前のようで当たり前じゃない「正しさ」のようなものをこの番組からは感じます。
北山
確かに。他のバラエティ番組では、VTRチェックでは「こうしたら笑える」「こうしたらオチがつく」という話が多いです。もちろんそれは悪いことではないですが、この番組のVTRチェックでは、チーム全員で「傷つく人がいないか」「悪者になってしまう人がいないか」という議論が一番にされているんです。
そこはこれからも大事にしていきたいし、放送後も僕らのできる限り、出演いただいたご家族のアフターケアをしていかなくてはいけないと思っています。
斎藤
今は本当に人の心を動かす作品が生まれにくくなっているように感じます。映画会社、テレビ局もそうだと思いますが、データやAIに基づいてエンターテインメントをつくっていくことがスタンダードになっています。私も映画をつくるときに「このキャストを起用すればこの年代にリーチできる」というような資料をもらったことがあります。
人ではない何かが決めた物語とキャスティングでつくられた作品が世の中にはたくさんある。それが完全な悪というわけではないけれど、その真逆にあるのが『こどもディレクター』という番組なのだと思います。
そういう企業の論理に相反するような作品をつくる人は限られてくるものです。でも、この番組の制作チームには上出さんをはじめ同じ良心を持った人たちが集まっている。それって奇跡みたいなことですよね。
後半は北山さんと上出さんの2人が『こどもディレクター』の裏話とともに“番組制作談義”に花を咲かせます。2人のクリエイターはチャレンジングな番組企画の先に、どんなテレビ業界の未来を描いているのでしょうか。
この人だから発想できる、属人的な番組
「こどもディレクター」は2回の特番を経て、レギュラー化しました。もともと番組の企画はどこから発想されたのですか?
北山
紆余曲折を経ているのですが、きっかけは構成作家の安齋さんから「こどもインターン」というまったく別の企画をご提案いただいたことでした。3年くらい前ですかね。そのとき、こどもにカメラを預けてディレクターにするというアイデアを思いつきました。
これまでドキュメントバラエティを取材するにあたり、現場にいる自身の存在が取材対象者に対して「非日常」になってしまうことの葛藤、「自分が邪魔だなぁ」と感じる場面が多々あったので、制作者が介入しないドキュメンタリーを撮りたいという思いがそのアイデアにつながったのかなぁと。でもなかなか企画が通らなくて……、そんなとき上出さんにご相談する機会をいただいたのです。以前、上出さんの手掛けた番組を観たときに、いつか一緒に仕事してみたい、学んでみたいと感じていました。ご著書も拝読しており、本当に尊敬しています。
お会いしたのはどこかの居酒屋でしたよね?
上出
牛タン屋かな?でもなぜか企画を見せるのを渋っていたよね。
北山
いざご本人を目の前にして、自分ではすごいと思っている企画にどんな反応が返ってくるのか、怖かったのはありますね。
上出
番組に監修として関わらせてもらうようになって思うのは、(北山)流川くんしか考えない企画だな、と。それぞれの親子関係の物語をつくっていこうという発想は僕にはないし、そういう意味では属人的な番組です。
斎藤さんがおっしゃったようにAIやデータが主流になっている時代においては、「この人だから発想できる」ということが重要だと思います。
被写体を「素材」ではなく「人」として扱う
特番では北山さん自身がこどもディレクターになって、ご両親に取材していますね。
北山
上出さんが収録の直前に「何か(自分の親に)聞きたいことないの?」ときっかけをくれました。実はVTRを見ているとき、出演いただいているご家族をうらやましいと思う部分もあったんです。
上出
なんで聞いたんだろう。一緒にそれぞれの家族のVTRを見ていて、ふと思ったんですよ。そうしたら流川くんから意外と聞きたいことが出てきた。それで、とっさにカメラを回しはじめたんだよね。
北山
自分の両親を取材する経験をして、自分の中の足りなかったものが満たされた感じはありますね。
結局、自分の両親を取材した映像を自分で編集することはできないと思って、上出さんにお預けしました。そのときに撮られる側の気持ちがよくわかりましたね。
もちろん信頼はしているけれど、どういうVTRになるのかすごく不安で。でも、結果的に上出さんが編集してくださったVTRもスタジオで見守る斎藤さんのまなざしもとても温かく、「やって良かった」と思えました。
その経験があるからこそ、こどもディレクターとして協力してくださった方たちの映像を自分たちが編集するときにも、まず1人目の視聴者としてその方たちのことを考えるべきだと思うようになりました。
でも自分たちだけではまだ足りないところがあるかもしれません。そこは上出さんにも入ってもらい話し合うようにしています。
上出
この番組の一番の面白みでありリスクでもあるのが、こどもディレクターとそのご家族の人生に大きな影響を与える可能性があることです。ネガティブな影響を与えてしまう可能性の芽を摘むのが、僕の役割だと思っています。
テレビ業界では映像を「素材」と呼びますが、カメラの前に立つ人をあたかも道具や材料かのように扱いがちです。僕自身、過去にカメラの前に立ってくれた人を傷つける行為に加担してしまったことがあり、トラウマにもなっています。
北山
僕も番組に出ていただいた方の人生を変えてしまったかもしれない罪悪感に悩んでいたときがあって、上出さんに相談したんです。そのときに「大人同士やれることをやりきったと言い切れることが大事」とおっしゃっていただいて、肩の荷が降りたのを覚えています。
この罪悪感はすべてのテレビマンが向き合うべきことなのかもしれないですね。
引き算でテレビ業界のセオリーを覆す
『こどもディレクター』の演出・効果などにおいて、工夫やチャレンジしていることはありますか?
北山
よく「引き算でつくる」と話しています。たとえば、テロップに強調は必要なのか。色や大きさが変わらなくても、視聴者に響かせることはできるのではないか。そういった、こちらから必要以上に提示をしない、引き算のチャレンジはあるかもしれないですね。上出さん、いかがでしょう?
上出
やっぱりカメラを渡してあとはそれを受け取るだけという、この番組の企画が一番のチャレンジだとは思うんですよね。ただ、出発点がチャレンジだからこそ、その後もチャレンジせざるを得なくなっている。
たとえば3回目の放送では、女性がおばあちゃんに自分の名前の由来を聞きに行くのですが、VTRのほとんどが画変わりをしない固定カメラの2ショットなんですよね。テレビのセオリーでは視聴者が飽きることを懸念して、いろいろと足し算するんですよ。でも、僕らにはもう使える映像が残されていないから、問答無用で2ショットでやりきるしかない。
ただ結果を見ると、画変わりをまったくしない時間に視聴者が離れていなかったんです。ではテレビ業界が信じてきた画変わりはどれだけ必要だったのだろう。いろいろな定説が覆されていく感じがありますね。
ローカル局の強みは倫理観!?
最後にテレビ業界の今後について、ご意見をお聞かせください。
北山
中京テレビのようなローカル局には図らずも地域に根づき、寄り添い、被写体を大切にする文化があります。
それがアウトプットにも表れて、つくられる番組も「中京テレビの番組って、優しいよね」と思えるものになればいいですよね。
そういう意味では、これからの時代に求められる番組をつくる上で、ローカル局であることが強みになるのではないかと。上出さん、どうですか?
上出
今はとにかく刺激が強くて話題性のあるコンテンツがお金になってしまう時代ですから。そのなかで僕らに何ができるのか。
中京テレビは55年の歴史のなかで、数多くの失敗を重ねてきたはずです。そしてそのなかで「これはやってはいけない」ということも蓄積している。これをやると短期的には注目されるけれど、カメラの前に立ってくれた人が傷ついてしまうとか。その蓄積はインターネットを舞台にする新興の映像制作陣とは一線を画すものですよね。言い換えれば、それは倫理観です。だからこそ、『こどもディレクター』のようなリスキーな番組も制作することができる。
いろいろな新興のエンターテインメントが生まれていますが、対抗していくには自分たちの強みを最大限に活かして番組づくりをしていくしかありません。そしてそこには大きな勝機があるかもしれないと、希望も感じているんです。